サイバーパンクに対する導入(2007/2/20)


サイバーパンクとは名の通りサイバーな、つまり電子的なネットワークなりテクノロジーなりが過剰に発達した近未来を描く、SFの一分野である。
その描写がスターウオーズみたいな勧善懲悪!っぽい見せ方でなく、現代的な都会の喧騒を取り入れて世界観の描写自体をオブジェクトとするような作品の事。
ディプトリーJr.という作家の"接続された女"(マクロスプラスみたく街中がアイドルの熱狂に包まれ、そのファンの一人が主人公)に始まり、
ウィリアム・ギブスンの"ニューロマンサー"や"マイクロチップの魔術師"(作者忘れた)などによってジャンルとして確立される。
それだけだったら一介の学生がテクストなんか書かないわけで、震災・オウムとバブルの余韻から冷水を浴びせられた(今振り返るとそう思える)95年、
"攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL"が公開される。この作品についてはネットにおいてもリアルワールドにおいても語り尽くされているので、その評価も定着しているかと思う。
当時は日本ではあまり盛り上がらず、アメリカで火がついたらしい。国内では翌年のエヴァ現象の方が遥かに大きかった。
op冒頭の生命樹とか、NERVのハッキングシーンとか、業界レベルで攻殻の影響を受けてるんじゃないだろーか。
95年は攻殻、エヴァ、マクロスプラスと、アニメのスタイルの転換期だったと思う。表現の幅が深まった。アニメという土俵でサイバーパンクはいよいよメジャーになった。
この年にはwindows95が発表され、インターネットが普及を始め、電子的な描写を扱ったサイバーパンクの未来観は不安と期待(不安<期待)から世の中の注目を集めた、というか求めた。
求めた、というのは、当時はまだ作品に作家性が認められたという事。受け手のファンにとって作品のクオリティこそが未来を示し、
サイバーパンクはまさに未来を扱った(現在はネットを通じて受け手のワガママがまかり通っている)。
'95に前後してサイバーパンク作品は存在し、私も初めて観たのは"ARMITAGE Ⅲ"だ。カオス的な未来観が定着していなかったので、
高層ビルに囲まれたネオン街を露出の高いセクシーな衣装の美女を太ったオッサンが連れているシーンに衝撃を覚えた。
モラルハザードというか、全く別のルールが働いているようだった。不可能を可能に変え、欲求を追及する人々。
一見嫌悪を抱きそうだが、対象化される事で惹きこまれていくのだ。現実離れした感じが、何ともシビれる。
それとビルの谷間の路地をマント姿で歩いているアミテージが、いかがわしい男達にからまれるシーン。饒舌ぎみに、下卑た笑みを浮かべながらナイフでマントを剥がす。
アミテージは表情も変えずに沈黙している。このクールなやり取りから、ああ、後先なんて考える必要は無いんだ、
それが自由というものなんだ(もちろんどっかで考えなくちゃいけない人間はいるけど。それがロス・シリバスなのかな)という感じを抱いた。
このようにただの犯罪と違って作られた犯罪はスリルだ。AD.POLICE File2の冒頭で街娼が追っかけられるシーンも、広告用のパンフレットの絵で観たのだが、
やはり恐怖感よりも、サイバーパンク的なかっこよさを感じる。そこには強力な警察機構も存在するのだろうが、それでも管理出来ない程都市はあまりに巨大だ。
サイバーパンクの注目すべき点は、人間の欲望を限りなく徹底するのではなく、人間の存在自体がどんどんちっぽけになるくらい、都市が人を飲み込んでいる所だと思う。
メイドに御主人様と呼ばれる自分よりもテレビや雑誌に出てくるカリスマを愛しているだろうし、
他人の不幸よりも自分の幸福を追求出来るだろう(他人の不幸=自分の幸福っていう人は別だが)。
(余談になるがメイド服を含めたコスプレという行為は本来心理学的には投影と呼ばれるような行為で、その目的は誰かに好かれようとする事にあるのではなく、
憧れの対象や世の中によい、美しいと思われているような姿に自分がなる事で自己イメージを高めようとする、またコスプレの対象に対する感情を表現するものなのだ。
そのためその行為はきわめて心理的であるので時にとんでもない自己欺瞞に陥る。なので特定の志向対象を持たないメイド衣装や、
突発的にアニメキャラなどの衣装を着てイベントなどに参加する行為をさしてコスプレとは言わない、と思う。
つまり元々コスプレとは社会的にマトモでしっかりしてそうな美人のオネエサンがまさかアニメのコスプレなんて?という変態嗜好を感じさせるからいいのであって、
それならそんなにのめり込む程面白いんだと納得出来、もとから頭のおかしそうな醜い人間がコスプレしてもバカと思われるだけ。生きる価値なし。
美人ならOK。だから俺はやらない(笑))無機質だがどこかあたたかい落ち着くような感じを抱くサイバーパンク。以外と作品は少ないかもしれない。
上記の攻殻(SACは認めてない、でも2話はgood)、ARMITAGE、AD.POLICEと"INNOCENCE"ぐらいだろうか。あと"CYBER CITY OEDO 808"とか。
よく観た事無いけど。結構ありそうだな。知ってるのでは、"luv wave"という作品もある。一話(だと思う)の冒頭で、
トンネルを抜けて巨大なビル群の景色が開けてくるシーンが最高にカッコイイ。感受性がフルに発揮され、自分がまるでそこにいるかのような空気を感じる事が出来る。
サイバーパンクは創作であるが、現実との境界がどんどん揺らいでいく、未来を意欲的に考える上では非常に多くのものを見せてくれる。あ、"A KITE"もサイバーパンクだな。
とにかく現代的で美しければ全部サイバーパンクだー!!!

導入2

前回は世界観と犯罪に焦点を当てたが、続いてサイバーパンク世界におけるテクノロジーについて述べたいと思う。まず、ネットワークの発達と浸透。
ARMITAGE Ⅲではアンドロイド"サード"の一人の美少年(名前忘れた)が、自身の記憶を含めた人格を、バックアップと称してマザーコンピューターのような所に保存していた。
パスワードを特定してプロテクトを突破するシーンも出てくるし、意識をハッキングされる事もあった。
それらのテクノロジーがあまりに自然に出てくるので、もはや都市の活動と切り離せないものになっているようだ。
コンベアーのようなエレベーターのような装置に乗りながら少年が話しているシーンが、その情景とあわせてどうしようも無い感じというか、果てなさを感じる、まさにサイバーパンク的だ。
攻殻機動隊ではマンガも読んだが、ネットワークに電脳を接続する事でテレパシーのように情報をやり取りしたり、
マクロスプラスのYF-22もそうだが自動車や戦車を操縦するインターフェイスにしたり(目的地を入力して最適経路を選択する自動操縦にした方がいいと思うんだが・・・カーチェイスとかは出来ないかも。
戦車にはAI積んでるのにな。)、催眠術まがいの記憶の操作や、ゲームに用いられるようだが、疑似体験の注入なども行われている。
両者に共通するのは、地図が発達しているという事である。攻殻では建物や道路の形状を模した3Dの立体地図が用いられ、ネットワークの情報とリンクして車体の識別や、
ネットへの接続状況を知る事が出来る。ARMITAGE Ⅲでは積層的な地図が用いられている。メガネか何かを通して現実の景色にカンバンみたいな情報を重ね合わせ、
観光地図を開かなくても街の事が分かったり、INNOCENCEでは見えない場所の地形がリアルタイムで分かるような機能を使ったりしていた。
位置情報は店舗の立地条件と収益の相関シミュレーションなどに実用されている(重回帰モデルで変数操作するらしい)が、情報伝達の効率化という面を利用すれば、
これほどにも多様な用途がある。位置情報であればハード面で必要なのはコストぐらいだと思うが、電脳化や神経系とのインターフェイスは技術的に困難だと思う。
近未来においては、サイバネティクス的なデバイスが非常に発達している。ARMITAGE Ⅲの世界ではロボットは時に芸術面においても人間より優れたものとして描かれ、
人間は労働摩擦や、差別的な感情を抱いている。"メトロポリス"の劇場版でも同じような背景があった。ロス・シリバスは、自分が嫌っているロボットに近付いていると皮肉っていた。
攻殻では電脳化、義体化によって能力的には人間より優れているが、素子が自分は擬似記憶を注入されただけのただのロボットなんじゃないか?と嘆いていたように、
トグサのような生身がかえって貴重とされ、ロボットは人間より低位に置かれている。サイバーパンクは後者である事が多い。
AD.POLICEにおいても、アンドロイドや身体機能をある程度以上機械化した人間は"BUMA(ブーマ)"と呼ばれ、危険視され何の躊躇もなく排除される。
INNOCENCEでは消極的ではあるが身体性の喪失を受容していこうという姿勢がとられている。
あの作品でハダリー(ヴィリエ・ド・リラダンの"未来のイヴ"に出てくるエジソンが作った!アンドロイドと同名)という女検死官(ハラウェイ)が、
「ロボットはなぜ、人体の理想形を模して作られる必要があったのか」というセリフは、「サイバーパンクに登場するロボットはなぜセクシャルな役割を期待されるのか」と
作り手が自問しているようで、ハッとさせられる。INNOCENCEではセクサロイドが自壊と引き換えに暴走し、殺人を犯している。サイバーパンクが射精産業のセクサロイド話とは違う、
という事は、後々説明したいと思う。INNOCENCEでは、端的に言えばロボットを作る目的は"他者"の必要のためにだと思う。それは芸術的には人形であるし、生物学的には犬だったのだ。
これは人間のミクロな、個人レベルの動機は説明していると思う。ではなぜ作中でキムというハッカーは「人間はその美しさにおいて、いや存在においてすら人形にかなわない・・・」
と自嘲したのだろうか。ここから人形やロボットを作る事への別の動機が受け取れるのではないだろうか。実際に人形を作っている人には実感かもしれない。
それはサイバーパンクの方向性自体も物語っていると考えられる。続いて多少現実的な話をすると、アンドロイドを作る事はどこまで可能なのだろうか。
昔の人は腐食しない金を使って永遠の命に近づける、と考えたそうだ。これを錬金術という。現代でも人工知能を錬金術扱いして"心を作れる"くらいに拡大解釈してしまっている気がする。
脳の機能の最小単位であるニューロンは1億個ぐらいあり、それがランダムに結合する事で学習したり、発想したりするという。
無理じゃん!コンピューターのスペックが脳に近付くだけでも何十年とかかるといわれているのに、4次元の世界から3次元の世界を見るような、脳の機能の解明をどうやって行うのか。
コンピューターの計算速度を生かして、チェスや将棋のようなゲームは考えられる手をその先まで全て検索して、そこから最適な手を計算する、というような力技は得意だが、
認識レベルはニューラルネットワークなどによって非線形レベルまで達している(すいません、忘れました。複雑になった、くらいの認識でいいかと。)くらいで、
到底心というレベルには及ばないと思う。"ロボットは心を持つか"という本には、行動の抑止によって上位の意識が生まれる、というような事が書いてあった。
例えば素手では獲物を捕まえる事が出来ないから道具を使用する、というような。前方の障害物を認知させ迂回行動をとらせる事によって、形式的に意識の存在を再現したり。
今の所実用化や研究されている最先端のロボットの多くは、汎用性を得る段階には達しておらず、ある特定の機能の実現を目指すか、産業用に特化されるという段階にある。
サイバーパンクが近未来に思えなくなってしまったかもね。でも分野によっては近未来よりさらに先に進んでいる所もあると思うし、現実と創作の方向性が多少違うのは、
人は目先の利益を欲しがる面があるから(つまり、儲かりまっか?だから)、フロンティア精神や哲学的価値観だけでは動けないからだと思う。それは業界自体にも言える。
目先の利益と高レベルな目的が一致するのがベストなんだけど・・・。商品の質はその売り上げを決定する消費者の問題でもあるのかなー。世がバブル
だ何だと浮かれている中でアニメ・マンガ界はせっせと高レベルな作品を生み出していたからなー。やっぱりクリエーターは世の中との距離を上手く調節するべきだよな。
それを可能にするのが信念だと思う。目先の事にとらわれすぎると未来への願望やよりよくあろうという欲求が働かなくなるわけで。だからここではよりよい、
ていうかカッコイイサイバーパンクな未来について模索していきたいと思う。