NO GOD CRAZY STORY (2007/2/27~3/14) 約23,977字

   広漠たる闇。漂う群雲。一面の砂漠から電柱や崩壊した建物の残骸が突き出している。月だけが、地平線の向こうで空を覆い尽くさんとする。白い小さな塊が砂の丘陵の中に一つ。
 「サイコーに息ヅマってやがる」
 夜の透き通った闇にケムリを吐き出し、髪の逆立った青年が足を伸ばしている。 
    「あ・・・人」
 それを見つけた長い黒髪の若い女。
 「!」
 その時何かが砂を巻き上げて、青年の背後に接近した。
 「あぶな・・・」
 そう言いかけて少女の足が硬い金属片を踏んだ。爆発音が響いた。青年は砂に包まれた。
 砂漠化した地球を魔物の群れが通り過ぎる。青年は砂が舞う中自分をエモノにしようとした魔物の腹をかっさばいた。頬を切られ、血が出ていた。〈ここは神のいなくなった世界〉。燃え残った火が倒れた少女の周りにくすぶっている。青年は少女を抱き上げ、肩に担いだ。
 破綻した世界。無に支配された空間。 
 「よく生きてたな」
 青年は新しいタバコを一本、ケースから取り出した。
 「私は国際警察よ、地雷の緊急回避ぐらい身につけているわ」
 女が答えた。
 「でも気絶しちまうんだからまだ一流ではないな」
 青年が指に挟んだタバコが煙を漂わせる。
 「・・・まあそんなもんね、それにしてもすごいわあなた」
 女の表情が真剣になった。
 「何者なの」
 「ただの人間だよ。国際警察とかはやってねェ・・・」
 吸い終わったタバコが風に吹かれて飛んで行く。遠くにいびつな形をした群れの影が見えた。
 「さっきのヤローのグルが来やがった」
 「夜だからね」
 姿が認識出来た。魔物だ。
 「よーし・・・いっちょやりますか」
 女は拳を手の平に合わせて、気合いを入れるポーズをとった。青年はまた新しいタバコを口に銜えた。
 「やめとけ、おれは逃げる」
 「どうして?あのサイボーグ達に何か隠された秘密でもあるの?」
 「いや・・・やつらは大した事はない。たたかえば勝てるし楽に逃げきれる。そういう時は逃げるのをえらぶのが身のためだ」
 「そ そうだったわね」

 DAY 1
朝、人間が生存するために残された、砂漠のオアシスというべきサンクチュアリで、政府による食料や衣服の配給が行われていた。青年と国際警察の女もそこにいた。
 「この食料もいつまでもつのかしら・・・」
 「さあな」
 砂漠化と資源の窮乏は、自然状態から解き放たれた人類が繁栄の限りを尽くした結末だった。国連による世界政府の樹立は、この地球規模の問題に取り組むためには遅すぎた。
 「大陸の穀倉地帯まで完全に砂漠化したら、ここ世界の果ての島なんてすぐ見捨てられるだろうな・・・」
 「あっ上官」
 女は料理の盛られた皿を置くと、立ち上がって恰幅のいい紳士の所へ寄って行った。青年は食事を終え、その場に身を横たえた。空は何事も無かったかのように青い。
 「厄介な事になる前にここを去るか・・・」
 青年の所に女が戻って来た。
 「話はついたわ、さあ、体起こして。」
 「な、何だよ」
 青年の困惑など女にはお構いなしだった。
 「上官に昨日あなたと出会った経緯を説明して、私達に協力してもらう事を提案したのよ。」
 「協力って・・・困る!おれは厄介事はゴメンだ」
 「だめよ」
 女は拒む青年の腕を掴んで離さない。
 「おれはあんた達に取り入るためにあんたを助けたワケじゃない」
 「タダとは言わないわ・・・1日3度の食事を保障する」
 青年の腕から力が抜けた。
 「フフッ、素直なコね。この世界じゃどんな大金や宝石よりも食料が貴重でしょ」
 「あんた達には付き合いきれねぇ。ヤバくなったら逃げるぜ」
 「私達のバックには世界政府が付いてる。これは便利よ」
 年配の上官が横目にこちらの様子を伺っているのが分かる。
 「私はクリス・アリサ、あなたの名前は?」
 青年は好奇心旺盛な様子で尋ねるクリスを軽く睨んだ。
 「おれに名前なんて無い。何とでも好きなように呼んでくれ」
 「ふーん、じゃあ煙ばっかり吸ってるからケムリ。ケ・ム・リ」
 「ちっ・・・」
 「アハハッ、よろしくね!」
 砂漠の中にぽつりと存在するサンクチュアリから、人間の活動を示す煙がのぼっている。若い女刑事、クリス・アリサと同行する事になったケムリと呼ばれる青年は、老朽化した建物の壁に寄りかかって、国際警察の会議が終わるのを待っていた。国際警察は混乱した世界の秩序を維持するために組織され、各国の警察を上回る情報力と訓練された多数の精鋭を持つ。培われた能力を買われ、突如地球全体にはびこり、人間を喰い始めた謎の生物、魔物の駆除も担っている。
 「待たせたね、ケムリ」
 会議室からぞろぞろ出てくる屈強そうな捜査官達の中に、クリス・アリサを見つけた。
 「どうもサツの連中といると落ちつかねェ」
 「おしゃべり仲間みたいに打ち解けやすい警察ってどう?」
 クリスの言葉をケムリは無視した。
 「今月にはいってもう一万人は殺されてるって・・・魔物に」
 クリスは悲しげな目をして言った。
 「大変だな」
 ケムリは他人事のように言い放った。
 「そう!だからアナタの力が必要なの・・・魔物に対抗出来る次世代の人間は一人でも多い方がいい・・・アナタは薬も強化催眠もやってないみたいだし」
 「おれをあまり買かぶらない方がいいぜ・・・」
 「もったいないわ、それだけの力を使わずにおくのは」
 「勝手にしろ・・・」
 昼前、二人は寝泊りするアパートへ向かった。クリスはケムリを空き部屋へ案内した。
 「ここがアナタが今日から使う部屋。何かあったら一階の管理室へ。」
 「おれにはもったいないくらいの設備だな」
 部屋に入ったケムリは崩れるようにベッドの上に仰向けになると、頭の後ろに腕を組んでそのまま眠ってしまった。
 「すごい適応力・・・まさに雑草だわ」
 クリスは褒めているのかけなしているのかわからなかった。
 クリスはその足で総務課に行き、人員補充の手続きをした。ケムリと名付けられた放浪の能力青年は、正式に国際警察のメンバーになった。
 昼過ぎの沈んだ時間、予感がしてケムリは目を覚ました。上着をはおり、アパートを出た。辺りは人気が無く、静まり返っている。サンクチュアリのまわりに広がる砂漠。砂に埋もれた廃墟の中に傾いたタワーがそびえ立っている。不気味な黒い鳥が数羽、上空をタワーの方向へ飛んで行った。
 「あっここにいたのケムリ」
 通りの向こうからクリスがやって来た。
 「雲行きが怪しくなってきた・・・今夜あたりヤバいかもな」
 「雨降るかもね」
 「誰が天気の心配をする」
 そこに捜査官達が集まってきた。
 「私達はここに残って街を監視する。お前達は作戦通りタワーに突入しろ」
 「了解」
 「その男もな」
 ケムリは捜査官達に軽く目を合わせた。
 「おれなんかより、マッチョな兄ちゃん達が突っ込んでった方がいいんじゃねーか」
 「通常の人間には魔物の相手は無理よ、ウチは人命尊重がモットーなの」
 クリスが口をはさむ。
 「私達だってバケモノの相手はゴメンだ、命知らずがリスクの高いドーピングをして突っ込んでくよ」
 「では頼むぞ」
 捜査官達は足早に去って行った。
 「二人しかいないのか」
 「残りの人達は先にタワーへ向かった。さあ、行きましょう」
 クリスとケムリがタワーの真下に着いた頃には日が暮れかかっていた。
 「ここが魔物の巣になっている疑いの強い場所だ。ヤツ等が増えると殺される人間の数も増加する。本当なら根絶やしにしたいのだが、失敗したらお終いだ。少しずつ形勢を有利にしていくしかない。」
 「夜を待って突入・・・ん、新入りの男はどうした?」
 「クリスもいないぞ!」
 タワーの内部は広々としていて薄暗かった。足音だけが響く。
 「チョット急にどこ行くの、ケムリ!」
 「やはりものすごい気配だ、夜になったら魔物共が動き出すぞ」
 「だからって勝手な行動はやめて!」
 ケムリは後についてくるクリスを気にせず、どんどん進んでいく。
 「もう・・・知らないから!」
 魔物はどこかに潜んでいるに違いない。殺気をピリピリ感じる。
 「おまえ怖くないのか?」
 背中を向けたままクリスに尋ねる。
 「わたしは・・・背負うような過去も自分も無いから。生き残る唯一の方法に、さほど躊躇せずに歩き出す事が出来た・・・私、孤児だったの」
 一瞬の沈黙。
 「・・・おれと同じ様な境遇ってワケか」
 二人は通路のつきあたりを曲がった。そこは広いフロアになっていて、人間の骨が転がっていた。顔を上げると、魔物の影が夕陽の差し込むガラス壁付近でこちらの様子を伺っている。
 「ケムリ・・・」
 「ああ」
 ケムリは魔物の方へ歩き出した。そして魔物の攻撃範囲に入った。魔物が襲いかかって来る。ケムリは魔物のクローをかわし、腹に拳をぶち込んだ。衝撃で内臓が破裂し、魔物は悲鳴をあげた。すると扉や壁を壊して恐ろしい魔物達が集まってきた。
 「こんなに・・・!」
 クリスは蠢く魔物たちの目や胸に、スナイパーのように正確に銃弾を撃ち込んでいく。弾が無くなり、魔物の突進をよけた。魔物は壁に激突し、壁が崩れた。ケムリは魔物を素手やケリで殺していく。それはおよそ人間技ではなかった。クリスも薬や強化催眠で身体能力を常人の数倍に高めている。魔物達を引きちぎっていった。二人はまるで何かの作業に打ち込むかのように次々と殺戮を行っていった。一通り魔物達を片付け、フロアは静かになった。
 「ハァ、ハァ」
 汚れた姿でクリスは息を上げている。
 「次々行くぞ、ヤツ等夜になったら、おれ達がいた街を一斉に襲うつもりだ」
 ケムリはジャケットで手を拭いながら言った。
 「なぜ分かるの・・・?」
 「ヤツ等は人間が食糧なんだろ?」
 二人は襲ってくるザコを蹴散らしながら、通路を走って魔物の巣窟になっている別のフロアを探した。行き先にガラス張りのドアがあり、明らかに魔物であるデカい姿が見えた。
 「通り過ぎる・・・?」
 クリスはさりげなく危険を訴えた。
 「手強そうだな」
 ケムリはドアに向かって行った。
 「クリスはここにいろ」
 ドアが閉じ、闘いが始まった。ケムリは鋭い攻撃を放つが、魔物に見切られ、腕を掴まれ持ち上げられて腹を殴られる。ケムリは宙に浮いた状態で魔物の首にケリを放つ。着地して魔物が覆い被さってくるのをよける。距離をとって腕を空に振ると、衝撃波のようなものが飛んでいって魔物に当たる。魔物はひるんだが体勢を立て直し、体格からは信じられないスピードで速攻をかけ、ケムリを殴り飛ばした。壁にしたたかに打ちつけられたケムリは鮮血を吐いた。クリスは見ていられなくなって手近にあった椅子を掴んで背後から投げた。魔物は反射的に椅子をはじき飛ばして空中分解させた。クリスは魔物に睨まれ、怖気づいて体が動かなくなった。クリスは魔物の影に包まれた。押し倒され、シャツを上着ごと破られた。形のよい美乳と透き通るような素肌が露わになる。クリスの表情が恐怖に歪む。
 「助けて・・・!」
 ケムリは魔物を突いた。指が背中にめり込む。魔物は痛みに暴れた。ケムリはまた壁へふっ飛ばされた。魔物は向き直って倒れるケムリの方へ歩いて行った。
 「ぐはっ・・・」
 既にケムリの全身はガタガタ、顔は血だらけだった。クリスは華奢できれいな自分の肩を抱いたまま、うずくまって震えていた。魔物の足音がだんだんと大きく、ケムリの薄れる意識に響く。やがて足音が止まった。しかし何も起こらない。顔を上げると、目の前で誰かが魔物の振り下ろした腕を受け止めていた。その人間は一呼吸おくと、一瞬のうちに十発近いパンチを撃ち込み、魔物をノックアウトした。
 「だ・・・れだ」
 ケムリは視力の回復を待った。魔物は這いながら逃げて行った。二人を助けた人間はうずくまるクリスの下へ寄って行った。
 「怖かったね、アリサ・・・」
 ケムリは意識が戻ってきた。どうやら自分を救ったのは女らしい。女は震えるクリスの背中を優しくさすった。緊張の糸が切れてか弱く泣き出すクリスの頭を自分の体に引き寄せ、抱きしめた。ケムリは膝をついて起き上がると、口から流れる血を拭った。壁に手をつきながら二人の女の所へ寄っていく。
 「他の仲間達も直に到着する」
 女はクリスの繊細な髪の匂いをかぐように、俯いて鼻を頭に近づけたままケムリに言った。
 「余計な事・・・しやがって」
 ケムリは精一杯強がった。
 「なに?」
 女はケムリを見上げて睨んだ。
 「おれなら・・・ヤツを殺せたぜ・・・」
 「フッ」
 女は思わず少しふき出した。
 「強がりはよしなって、ニイチャン」
 髪の毛を振って見せた顔。美人だ。それと情熱的な眼。ケムリは壁にもたれてドサッと座り込み、震える手でタバコを取り出し、火をつけた。
 「女・・・名前を聞いておいていいか・・・」
 「カレン。カレン・ノイシェ」
 「もう大丈夫、ありがとう」
 クリスはカレンから静かに離れた。カレンは立ち上がり、フロアの外を見回りに行った。クリスは俯いたままだ。
 「ケムリ・・・ダメね、私・・・やっぱり、怖かった」
 ケムリはタバコと休息のおかげで少し回復したらしい。さっきより苦もなく立ち上がると、上着を脱ぎ、クリスの肩にかけた。
 「ケムリ!・・・」
 クリスは胸の高鳴っていくのを感じた。
 「おまえは女だ、無茶はするな」
 ケムリは顔をそらしたままそう言った。
 「このジャケット、汚れだらけ・・・それにボロボロ・・・」
 「着方がとことん荒いからな」
 「はやくシャワー浴びたーい」
 二人を苦戦させた魔物はボス格だったらしく、その夜他の魔物の動きは無かった。タワーに突入した捜査官達はサンクチュアリに帰還し、クリスはすぐアパートへ戻った。ボコボコにされたケムリはそのやられっぷりを賞賛する捜査官達の酒に一晩付き合わされた。ケムリを囲む輪を近くの席で仲間と飲みながら、カレンは興味深そうに見つめていた。

 DAY 2
「オハヨーッ、ケムリ!」
 「あー、ああ」
 ケムリは目にくまが出来、髪もボサボサで寝ぼけていた。いつもはナイフのように鋭い青年だが、朝には弱いらしい。しかし彼の回復力には驚くばかりだ。前夜の怪我もすっかり気にならなくなっている。
 「スキだらけだぞ、青年」
 背後からカレンがコツンとケムリの頭を小突いた。
 「あっカレンおはよ!」
 「おはよう、クリス」
 朝食は米とスープ。ケムリは黙ってガツガツと食っている。クリスもスープをスプーンですくって口に含もうとしたが、手を胸元に組んでお祈りのポーズをとるカレンに気付いた。
 「祈ってるの?カレン」
 「ええ、こんな状況におかれるようになって」
 それは厳しい状態を生き延びている事を神に感謝する気持ちからの行動だった。しかしこの終焉にさらされた世界に果たして神が介在しているのだろうか。
 「あー、食った食った」
 ケムリは勢いよく席を立ち上がると、他の捜査官達と挨拶を交わしつつ砂漠の風景へ消えていった。
 「あっアイツまた単独行動!・・・まっいいか、よく働いてるワケだし」
 果てしなく広がる砂漠。人類の繁栄を忘却の彼方へおしやろうとする荒廃。半ば砂に埋もれた電柱が電力を供給し続け、気休めのような時をつないでいる。青年は何も無い景色の中、一人佇んでいる。
 「おれもお人好しだな」
 ケムリはタバコを捨て、国際警察のアパートへ戻って行った。部屋でしばらく天井を眺めていたが、外を回る事にした。街の中には市場があり、服や化粧品、電化製品や寝具などの日用品の他、本や映像ソフトなどの娯楽品も売られている。大抵が粗悪品で、砂漠から拾ってきたものも多く、政府の支給する物資と比較しても見劣りする。
 「自分からパトロールなんて、エラーイ!」
 前方からクリスとカレンが歩いてきた。微笑むクリスを一瞥した後、ジッとこちらを睨む、クリスより一回り大きいカレンと目が合った。
 「タバコは売ってないのか」
 「市場のタバコはやめた方がいい」
 ケムリはタバコのケースを取り出し、中身を確認した。
 「政府の倉庫を襲撃するか」
 「アナタより強い人がいるわよ」
 「ガマンしろよ」
 二人の横で腕を組んでいたカレンが、市場に並ぶ商品の一点を睨みながら、ケムリに言った。
 「カレン・・・!」
 二人は睨み合った。目と鼻の先にあるカレンの顔。眉間にしわを寄せてはいるが、彫刻に命を与えたかのような常人離れした雰囲気。
 「ま、物不足なんて今に限った事じゃないけどな」
 そう言い捨ててケムリは通りの先に消えていった。クリスとカレンはその場に静止してそれを見ていた。
 「だめよ、カレン、そんな冷たい事言っちゃ」
 「私はアドバイスしただけだ。少し能力があるからって特別扱いする事は無い」
 「だけど・・・」
 市場の賑わいが砂漠の空に発散していた。
 サンクチュアリのはずれの方には娯楽施設があり、そこでは頻繁に演劇や音楽ライブが催される。人々にとっては数少ない貴重な娯楽であり、いつも盛況だ。ステージではスポーティな外見のボーカルの女性が美声を響かせている。
 「イエーイッ」
 ケムリはバンドのファンと称する捜査官仲間達に誘われ、まわりに合わせて中途半端にノッている。普段の彼の様子と比較するとそれは滑稽なものだ。まわりの人達はそんな印象をうすうす抱きつつもバンドの熱狂に集中していた。
 「ハハハハッ」
 ケムリはしばらく調子にのっていた。仲間のジョークに相づちを打ち、足つきもおぼつかなくなっている。その様子が彼の縦長でおとなしい外見とはあまりに不自然で不恰好なために面白い。
 「オイーッス」
 突拍子もなく仲間の手をかざしたのに応じて手をたたく。さっきはバンドのメンバーと握手までしていた。まるで夜遊びの楽しさを初めて覚えた子供のように、やけにテンションが上がっていた。
 会場では軽食が用意される。バンドのライブならワンドリンクにジャンクフード、クラシックの演奏ならワインと洋食、といった具合に。人類の最後の享楽の時間、といったところか。ひと時ではあるが日常の惰性と倦怠を忘れる事が出来る。
 「てっ」
 浮かれていたケムリに突然冷水を浴びせられるような衝撃が走る。姿勢を崩し、よろけた。振り返ると、談笑する女性達。
 「あっ、ケムリ!いたんだ!」
 クリスがケムリを驚きの笑みで見ている。カレンはまるで意に介さないかのように一瞥して見下ろしている。
 「気をつけな、ボク」
 カレンはその美貌では気遣いとも受け取る事が出来てしまうような口調でケムリをたしなめた。そして列の出来たコーナーからドリンクを受け取ろうとした。
 ドンッ
 ケムリはカレンを横からはねのけて列に立った。カレンはクリスの方にもたれ、クリスの腰にカレンのお尻が接した。その上咄嗟の事にクリスの手はカレンの胸を鷲掴みにしていた。
 「どうも」
 ケムリは淡々とドリンクを受け取ると、その場を離れた。カレンは姿勢を持ち直しながら顔は下げている。押された痛みよりも、ケムリに押されたという屈辱の方に気が回っているようだ。
 「ちょっとケムリ!」
 そう叱咤するクリスを尻目に、カレンは口を開けるケムリにつかつかと近付いて行った。
 「うごっ」
 ケムリの後頭部を掴み、下に押した。ケムリはドリンクを持つ手に集中していたため、頭をもろにもっていかれた。
 パシッ
 あっさりとカレンはドリンクを奪い取り、その場で飲み干した。ケムリはしばし固まっていた後、振り向いた顔はどシリアスだった。
 「上等じゃねえか」
 2人はまた睨みあっている。
 「勝負だ」
 「ああ。かかってきな」
 2人とも引く事を知らない。
 「いいのか?俺はその気になったらインド象でも倒せるぜ」
 「ど、どうしよう・・・」
 ドリンク係をしていた男性が困っている。
 「お前達、はしたないぞ!」
 ついに年輩の捜査官に怒られた。
 「どうしてこうなんだろう・・・」
 クリスのため息。
 そうしてサンクチュアリの夜は暮れていく。
 「やっぱりここにいた」
 砂漠の丘で足を放り出して座っているケムリが振り向く。クリスが少し砂をあげて横にお尻を落とす。
 「・・・・・・」
 酔いが醒めた後のような沈黙にひたるケムリ。この砂漠に、世界に同化していくようだ。
 「カレンの事、まだ怒ってるの?」
 「・・・」
 クリスの話をまるで聞いていないかのような態度。月のおぼろな光が2人を照らす。
 「彼女、寂しかったから」
 「!」
 不意にクリスはそう発した。
 「ほら、カレンて気が強いトコあるでしょ。だから男の人からも怖がられて・・・じゃない、なかなか打解けられなくて。」
 「・・・」
 「だから、ケムリが来て、弟が出来たみたいで嬉しかったんだと思う。ケムリにきつく当たっていたのは、その事の彼女なりの表現だったんだよ・・・」
 「・・・もういいよ」
 ケムリはクリスの言葉を遮るようにそう言った。人と接する事の感情の起伏にケムリは慣れていないようだった。
 クリスの釈明はケムリを少し嬉しくさせた。ケムリの沈黙の様子が少し変わって見えた。
 「じゃあね、ケムリ」
 クリスは去って行った。
 アパートの一室ではシャワーの音が部屋に伝わる。カレンの肢体が熱い水しぶきを弾いている。微かに褐色がかった黄金色の肌が、全身の緊張を伝える。
 バスタブから出る。何の汚れもない素足。艶を持った顔。昼間の彼女よりもより一層美しい。
 「カ・レ・ン!」
 突然ドアを開け外からクリスがやってくる。
 「ケムリと仲良くしようね!?カレンならきっと仲良くなれるから!!」
 「え、ええ・・・」
 クリスはバスタオル一枚のカレンにそう何度も話しかけていた。
 そうして捜査官達は明日の職務に備える。だが砂漠世界の内のある一点にある施設では、世を徹して働く者達がいた。国家、あるいはさらに大局的な単位の社会の構成要素である統治、力、知のうち、"知"を担う研究所、"ジハード"。現在そこでは魔物の生態について様々な解析が行われていた。
 「研究成果はまだ出ないのか?」
 「申し訳ありません、現在研究所を総動員して研究成果をまとめております・・・」
 「この役立たずが!」
 世界政府の軍服を着た官僚は、そう吐き捨ててレセプションルームをあとにした。
 「・・・このままでは我々人類は・・・!」
 状況説明を行っていた研究者が機材に埋め尽くされた研究室へ戻る。
 「おつかれさまです、主任」
 顕微鏡を操作する手を休めて研究員の一人が振り向く。
 「ああ。だが大変なのはこれからだ。」
 「はい。」
 「世界最高の研究機関がまるでお手上げ状態ではいけないからな。」
 パソコンの画面には複雑なグラフやデータが映し出されていた。魔物を構成する物質は一体何か。気圧や重力などに対しいかに対応するのだろうか。形態毎にどのような構造をとるのか。分からない事が山積みだ。

 DAY 3
「お父さん、お母さん・・・」
 私は2人の影を追う。でも、私からどんどん離れて行ってしまう。私は転んで、顔を地面にぶつけて、涙が溢れてくる。そしていつのまにか私のいる周りは壁で囲まれる。目の前には見知らぬ大人達がいて、ゆっくりと扉が閉まっていく・・・そこで光が消え、夢は終わる。
 「アリサ」
 私を呼ぶ、やけに耳に響く声。誰?
 「アリサ!」
 「え?」
 「早く起きなさい!遅刻するでしょ!」
 鮮やかな朝の風景が私の視界に広がった。カーテンのすき間から射す光。部屋を埋め尽くす様々な雑貨やアクセサリー、CDや雑誌。私の体はふかふかのベッドにつつまれていた。
 「お母さん・・・」
 「何ボケッとしてるの?さ、身支度しなさい。」
 母親の顔は暗くなっていてよく見えない。でもこの状態は毎朝経験している事だ。
 「んん・・・」
 私は寝ぼけて目をこすった。母親は忙しそうに部屋から出て行った。ちらっと時計を見る。
 「ゲッ!!」
 5分後、私は制服姿でバス停へ走っていた。洗顔から整髪まで自分ながら早業だと思う。短距離走は学年でも一番速い。
 プシュー
 「ふー間に合った」
 「おはよう」
 「おはよう健くん」
 通学路が一緒のクラスメイト。まじめなタイプ。よくおしゃべりをする仲だ。
 「今度のテストどう?勉強してる?」
 「ううん全然してないよータイヘ~ン」
 「実は俺も・・・」
 「クスッ」
 バスは爽やかな朝の中を学校へと走って行く。
 「アリサさんさよなら」
 健くんと別れ、自分のクラスの教室に入る。
 「おはよう、今日は間に合ったじゃん、アリサ。」
 「もー可憐ちゃんのイジワルー」
 教室では友達に取りまかれて、長身で、美人で評判の可憐が談笑していた。
 「アリサ今日もカワイイねー。」
 かく言う私も学校では人気者なのだ。家での奮闘など微塵も感じさせない。美人で通っているのだから。
 ガラッ
 横柄にドアを開けて、スラッとした長身の青年が教室に入り、自分の席に無言で座った。
 「あの子だれ?」
 アリサの口から出た素朴な疑問。一瞬場が沈黙した。
 「知らないのアリサ。この間来た転校生だよ。」
 「学校休んでたから・・・」
 「なんかずっと黙ってるんだってー」
 本人の耳も気にせず、アリサの取り巻きの一人がそう言い放った。
 「授業中もほとんど教室にいないんだよ。どこにいたと思う?」
 他の女子がさらに噂し出す。
 「えっドコ?」
 「保健室で座ってるんだってー!」
 「アハハハハ」
 「うわー」
 デリカシーのかけらも無いアリサの友達。
 「私なんて昨日街中であっちゃったー。」
 「アイツ絶対何かあるよねー。」
 もはや会話中で転校生は女子達の嫌悪の対象にされている。アリサはそんな取り巻きを振り払うように席を立とうとした。
 「アリサー、どうしたの?」
 「話してみようかな」
 「えー。やめなよー。」
 女子達の意見。
 「でも、悪い人じゃなさそうだし・・・」
 「私もそう思うけど。」
 隣にいた可憐もアリサに同意する。
 「アイツに近付かない方がいいよ?」
 「・・・」
 アリサはもう一歩のところを踏み出せなかった。
 放課後。アリサは前を歩く転校生を追いかけていた。
 「アイツ普通の人間じゃないよ。危険だよ。」
 そんな言葉が頭を駆け巡る。
 「こんにちは」
 アリサが話しかける。転校生は立ち止まる。
 「私同じクラスのクリス・アリサ。よろしく。」
 転校生が振り向く。凍てつくような視線。寡黙な表情。まるで顔見知りの仲間に対するような素っ気ない態度。
 「あの・・・」
 アリサはどこか違和感を感じた。現実が突然自分に対する姿を変え、開き直るかのような。
 「名前、何ていうんですか」
 「・・・・・・」
 「えっ?」
 転校生は口を動かしているが、声が小さくて聴きとれない。それだけじゃない。だんだん目の前が暗くなって・・・
 「おい、目を覚ませ」
 「!」
 医務室の天井とクリスの顔を覗きこむ人影。クリスは鉄製フレームの簡素なベッドに身を横たえていた。
 「クリス!」
 クリスが目を覚ました事に喜びケムリを蹴っ飛ばしてカレンが身を乗り出す。
 「ったく・・・」
 医務室の端で頭を掻くケムリ。不断の強化訓練は肉体の限界と隣りあわせで、往々にして身体への過負荷や薬物の副作用による昏睡状態に陥る。苦しい訓練でいつもピンピンしているのは怪力女のカレンとゾンビ男のケムリくらいだ。
 「よかった・・・」
 「ごめん、迷惑かけて。」
 クリスはその時初めて自分は夢を見ていた、という事に気付いた。安らかな世界はもうこの世には存在しない。人々の生活する住宅も、街も戦火と荒廃に消えていった。第一クリスに両親はいないし、普通の学校に通った事もない。
 「もう大丈夫」
 クリスの父親は戦地にジャーナリストとして赴任し、通りに停車していた所を銃撃にあって殺された。父親はクリスに多額の生命保険を残していた。医療技術が格段に進歩した未来、大病院は自身で保険事業を行うようになっていた。腕がいいほど収入があるという仕組みである。だが銃弾は目や全身を撃ち、即死状態だった。母親は父親の浮気を知り失踪、孤児となったクリスは病院に一時引き取られ、医者や看護婦達のロビーで大人しくしていた。そこに決まって現れるのが父親の愛人だった。保険料の請求を主張する。彼女がいる間、自分をかばっていた看護婦の匂いを今も覚えている。
 「無理はするなよ」
 「うん・・・でももっと頑張らなくちゃ。」
 幼かったクリスは残された資金で強化施設に入る事を決意。だがその施設を無事に出られる子供は10人に1人もいなかった。子供を子供とは思わないような過酷な訓練が行われる。音を上げたら最後、だ。今日活躍する捜査官達は皆その訓練をクリアしてきた精鋭だ。
 「クリスは体力だけで押し切ろうとする所がある。でも出来るだけ余計な力を使わないで、頭を使って動くのも必要だよ」
 バカ力のカレンが偉そうに言う。
 「ま、自分の力を過信しすぎるなという事だ。」
 親切なのかおせっかいなのか、他人事のようにケムリとカレンはアドバイスを続けた。
 研究施設、"ジハード"では今日も最先端の様々な研究が行われている。まるでそこだけ外界の現実から切り離されたように。
 「だめだな、こんなレポートでは」
 その言葉を何回繰り返しただろうか。軽い期待といつもの落胆を通過し、研究主任はイスを回転させて窓の方を向いた。
 「失礼します」
 研究員は部屋をあとにした。廊下では仲間が待っている。
 「その様子だと・・・ダメか」
 「ま、自分でもわかってるけどな」
 「解剖ごっこなんかしたって、そんな簡単に生体の構造なんて分かりっこないんだよ、勘違いしてる。」
 「科学が始まって何百年とたつのに、未だに自分達の体についてだってよく分かっていないんだ。それなのに魔物の生態なんて分かるものか」
 「環境セクションに異動しようか?」
 「解決不可能問題でも解くか」
 そもそも我々が絶対だと思っているのも、それは我々の見方に過ぎないし、突然違う見方を要求されると途端にまっさらになってしまう。魔物はまさに常識はずれの事だらけだった。研究員の間にも諦めの色が見えはじめていた。

 DAY 4
「こっこれは・・・!」
 砂漠の中に点在するサンクチュアリの一つ、国際警察の通信室に送信された衛星の遠赤外線熱感知センサーが捉えた画像は司令部の人間達を驚愕させていた。サンクチュアリの周辺を取り囲む膨大な数の赤い点。そのころ捜査官達は土木作業に借り出されていた。彼らに作業をさせた方が労働者を雇うより効率がいいからだ。力仕事をする事によって同時に訓練にもなる。
 「どんどん頼むねー」
 クリスはケムリの所に材料を運ぶ。それは水道をつくるための木材や金属などだ。文明時代の遺産である水道設備だけでは供給が賄えなくなった。そこで現在臨時の工事が行われている。
 「疲れてきたな」
 「はいはい文句を言わなーい」
 「日射病になったらどうするんだよ・・・」
 ケムリはそうぶつぶつ言いながら木材を斬る。鉄であろうとケムリの手刀が通過しただけでバターのように切れる。
 「アナタはじっとしてていいんだから楽でしょ。」
 カレンは筋骨隆々な男達に混じって岩などを運ぶ仕事を手伝っている。何百kgもありそうな巨大な岩を華奢な腕で綿のように軽々と持ち上げる。
 「俺にあんな怪力女の真似は出来んからな」
 捜査官達は常人に比べて基本的な身体能力のパラメータがいずれも高い。そして特にカレンの能力は身体能力を飛躍的に上げる内在系、ケムリはそのエネルギーを外界に放出する事の出来る干渉系、クリスは射撃などミリ以下の単位で精度を調整出来る操作系と、それぞれある一方向に向かって特化している。能力間に絶対的な優劣は無く、個々の能力を最大限に発揮出来る適材適所でいかようにもなる。だがケムリのような干渉系の能力を持つ者は少なく、それゆえ組織ではこの能力を持つものが必要とされる事が多い。3人を見る限りでは、内在系が干渉系に対して強く、操作系が内在系に対して強いという傾向が読み取れる・・・かもしれない。
 「休憩しよう」
 ケムリはまわりの労働者達と一緒にその場を離れた。昼食は耐熱フィルムで包んだだけの、もうどこの国の料理なのか誰も気にしない麺類だった。クリスやカレンはまわりの人達と楽しく語らっている。ケムリは一人離れた場所で静かに麺を口に運んでいた。
 「・・・増えたな」
 遠くの静かな砂漠を見つめながらそう呟いた。
 午後。突如砂漠に砂嵐が吹き荒れ、作業は中止を余儀無くされた。管理棟の中で、ケムリや労働者達はせっかくの設備が砂に埋もれていくのを成す術も無くじっと見つめていた。だが悲嘆に暮れる間もなく捜査官達は庁舎に呼び出され、急な知らせを受ける。
 「この場所を離れるだって?」
 捜査官達の間に一瞬どよめきが走った。
 「そうだ。3日後に輸送機のチャーターを取り付けた」
 「一難去ってまた一難ってか・・・」
 「だから文句を言わないの」
 ケムリの行動計画は寝転がっている時とそうでない時、という区別で動いているらしい。
 「わかりました。では迅速な避難民の誘導と輸送の手続きに尽力します」
 「うむ」
 まず捜査官達が行ったのは一般住民への説明だった。
 「戦時中、旧日本軍はキスカ島から撤退するために、軍の迎えを待って毎日何十キロもの道を行進し続けたそうだ」
 「それで?」
 「脱出は成功した」
 「出エジプトなんて40年間逃げ続けた話だ」
 「不吉な事言わないで」
 まず公的組織の幹部達と一般市民を高度戦略型輸送機で脱出させ、一部の捜査官達がその防衛と魔物の殲滅を行った後、陸上ホバーで脱出する。魔物がそれを察知したら大挙して襲い掛かってくるだろうから、スピードが命となる作戦だ。
 3日はすぐに過ぎ去り、魔物の群れはさらに数を増してサンクチュアリ周辺に集結していた。
 「明日への架け橋のご到着だ」
 庁舎の位置と重なったレーダーの赤い点。高高度からホバリングして着陸する。
 「何でもありってやつだな」
 「空挺部隊がこんなもの持ってきたぞ」
 戦闘に向けて待機する捜査官達はコンテナに集まった。ミサイルランチャーや熱線器(中距離光学兵器。目つぶしライトの大出力バージョン)、強化服などが収納されていた。
 「宇宙人と戦うみたいだな」
 「ある意味その通りだけどな」
 市民の避難が始まった。捜査官達はサンクチュアリを取り囲むように外域に配置された。エリートと女性や子供の市民を乗せた一機目の輸送機が離陸した。窓からはまるで地面が動いているかのように、黒いカタマリが集落を取り囲み近付いていくのが見えた。
 ゴク・・・
 クリスはケムリや勇敢な同僚達とともに自ら名乗り出て残る事を希望した。カレンもそれに付き合う事になった。だから寂しくはない。だがその責任の大きさから思わず緊張の息をのんだ。
 「!!」
 「来た!」
 クリスがそう思ったか思わないかのうちに、離れた場所にいたケムリは猛烈な勢いで飛び出し、気違いとも思えるほどのスピードで魔物達を倒していく。他の捜査官達も武器や能力を使って攻撃を始めた。輸送機のある場所には市民達が集まっている。もぬけのからとなった街の通りに一人の市民の男がいた。捜査官だけに任せていられず、見回りに来ていた。
 ザザーッ!!
突然男の前に地中から音を上げて、巨大な異形の魔物が現れ、襲い掛かった。男は手で身をかばい、目をつぶった。
 「・・・・・・」
 だが何も起こらない。男が恐る恐る顔を上げると魔物は倒れ、背後に銃を持ったクリスがいた。外域を猛突進するケムリ達にまかせ、集落内の警戒に来ていたのだ。
 「早く逃げて!」
 「は、はい!」
 男は静まりかえった無人の通りを急いで輸送機の場所へ走って行った。
 一方外域では大混戦が続いていた。
 「ちっキリがねえ!」
 いくら倒しても倒しても魔物は次から次に襲い掛かって来る。
 「オイニイチャン」
 魔物を蹴散らしながら汗ばんで髪を乱したカレンが近付いてきた。
 「ん、なんだいたのかアンタ」
 「こう四方八方から来られると困る。一度内部に引き寄せ、建物の地形を利用して一網打尽にしないか?」
 「わかった」
 「よし、2機目が飛んだら動く!」
 もう何匹かケムリ達の攻撃をかいくぐった魔物は上空から集落に侵入していた。内部では苦戦しているに違いない。
 ゴオオオオ・・・
 轟音を上げて輸送機が飛び立つ。これで人間の脱出は完了した。あとは貨物の移動だけだ。ケムリとカレンはたった今廃墟と化した集落へ向かって走っていく。背後に無数の魔物がついて行く。
 「ウオオオオオ!」
 ケムリは空中で手を素早く動かし波動エネルギーで魔物の体を切り裂いていく。カレンも魔物を素手で殺していく。
 「ケムリ!」
 武器を手にしたクリスが合流した。
 「もう脱出は完了した!私達も逃げるわ!」
 「まだだ!まだ数が多すぎる!!」
 額から血を流しながらケムリが言う。
 「私達はここに残る!クリスは行きなさい!」
 カレンもところどころ服が破けて素肌が露出している。
 「いいだろ、青年!」
 「でも!!」
 クリスは皆一緒に逃げよう、と咽喉もとまできていた。
 「乗りかかった船だ、やるよ!」
 「愛してる!」
 そう言うと二人は素早く外へ出て行く。
 「じゃあ頼んだよクリス。」
 そういい残してカレンも姿を消した。そうして2人はカッコつける事が出来るが上官の曇った顔に耐えなければいけないのはクリスなのだ。どうにか説明して脱出を待ってもらうのにクリスはへとへとになった。
 「小ジワが増えたらどうするのよ、もうっ・・・」
 ホバーは闇夜に赤く燃えあがる集落を離れた所から見守っていた。
 「いくらあの2人でも、あれだけの数が相手では・・・」
 2人はその後一時間たっても戻って来なかった。
 「尊い犠牲者を出してしまった・・・」
 「民の指導者も結局新たな土地へはたどりつけなかった」
 「これ以上犠牲を出すわけにはいかない。魔物に気付かれないうちに逃げるぞ」
 ホバーは既にエンジンが入っている。輸送機と比べて目的地へは遥かに長旅になるため、故障などするわけにいかない。
 「・・・あっ!」
 陰鬱な表情で集落の方をじっと見ていたクリスが思わず声を上げた。
 「オ・・・オオーッ!!」
 捜査官達の喝采がまき起こる。炎に照らされながら歩いて来る2人の姿。2人とも体がボロボロだ。カレンがケムリの肩に手を回し、カレンを担ぐようにしてケムリはやっとの事で歩を進めている。
 ドサッ
 カレンは捜査官達に体を支えられながら、脱力してその場に崩れ、無言で仲間達の賞賛の声にわずかに顔を傾けている。ケムリは泣きつくクリスを抱きとめながらボサボサのところどころコゲついた髪で笑顔を見せていた。
 捜査官達を乗せたホバーは燃え行くサンクチュアリから離脱した。

 DAY 5
地平線まで広がる砂漠。砂の世界を一直線に突き進むホバーの居住区の窓の向こうに、それは悠然と広がっている。ケムリはその風景をじっと見ていた。
 「私を見て・・・」
 エンジンの駆動が息の詰まるような孤立感をもつ部屋の地面を微かに振動させる、透き通るような闇夜に、気が付くとカレンはいた。闇に隠された向こうから確かにカレンの視線を感じた。それは寝床から上体を起こすケムリを縛り付けた。
 「オマエ・・・」
 カレンの扉に添えたしなやかな指がほぐれるように縮む。強調された腰の曲線を寝着のくつろぎに委ねる。
 「フゥ・・・」
 ケムリは髪をかき上げ額をおさえた。傷の痛みと戦闘の興奮とで寝苦しい。体は疲労に浸かっているが意識はぼんやりと覚醒を保っていた。ケムリのすっきりとした目鼻立ちがわずかに夜の光を受けた。
 「カレン」
 ケムリは鋭い視線を投げかけた。カレンの体は動かない。いつもの機敏さが伝わってこない。激戦で体は力を失っているようだ。ただ視線の気配だけがケムリに捉えられているような威圧感を与える。
 「何か言ったらどうなんだ、そんな所につっ立ってないで」
 ケムリは体の呪縛を解こうと足を床に下ろし、備え付けのクーラーボックスを開けた。空気の止まった部屋で、飾りの無いガラスのコップにアルコールを注ぐ。
 「こんなもの、俺にはもったいないがな」
 透明の液体がコップの中で揺れている。一瞬ボトルを持つ手に痺れが走る。その訴えに逆らうように力を入れる。
 「俺みたいな人間はいつ砂漠の土になろうと惜しくない」
 孤独を押し通すような横顔。コップを持つ手が震える。
 「俺に関わるのはやめろ」
 そう言いケムリはコップを口に寄せた。
 「!」
 カレンの上着が床に落ちる音がした。ケムリの動きが止まる。
 「なんだか眠れなくて・・・」
 顔なじみに話しかけるような口調。
 「体が熱くて・・・」
 甘い吐息を洩らし、自分の素肌をウエストから首筋にかけてなぞる。シルクのようにたなびく髪が頬にかかる。
 「・・・・・・」
 俯いて背を向けるケムリの背後に口元に密かな笑みを持ってカレンが近付く。
 「少し寂しくなって、アナタと話したくなった」
 ベッドのケムリの隣に反対側を向いて座った。触れ合う肩。
 「私の事、怪力女みたいに思ってる?」
 しなやかに伸びた腕。引き締まった腹部。
 「でもこんな包帯だらけ。襲うなら今だと思うよ?」
 カレンは笑顔で横目にケムリを見て言う。
 「アナタがついて来てくれたとき、嬉しかった」
 カレンは部屋の天井を見つめる。
 「そんな芯のある男は初めてだったから。アナタが・・・カワイイ」
 そう言いかけて一瞬意識が揺らぎ、気が付くとカレンは真上を見つめていた。
 「いいのか・・・これで」
 ケムリのあくまでもいてつくような透き通った瞳。カレンは静かに微笑んだ。
 この闇は全てとつながっている。果てしない広がり。2人の交わりは深い夜が迷い込んだ悪戯だった。
 「・・・ねぇケムリ、また・・・しよう」
 「また・・・?」
 「今度は勝負、しような」
 「ああ」
 ケムリ達は未だ見ぬ次の場所に近付きつつあった。
 朝。どこで見知ったのだろうか、ケムリとカレンが一夜を過ごしたという噂は捜査官中に広がっていた。
 「聞いたか、クリス、あの男ちゃっかりしてるぜ!」
 「あっ当事者のご登場だ」
 カフェテリアに一同が集まる。運転は自動操縦にしてある。
 「おはようケムリ」
 「オッ・・・ス」
 髪がボサボサのケムリはいつものように素っ気無い態度でクリスの隣の席に座る。
 「昨日の事・・・本当なの?」
 ケムリの顔を覗き込む。
 「信じるのも信じないのもお前の勝手だ」
 そう言いサラダのローストビーフを口に運んだ。
 「おはよー」
 いつもの私服姿のカレンがケムリの席を通り過ぎる。コーヒーを注ぎに行くのをクリスが追った。
 「カーレーン!」
 「わっ、クリス」
 「ここやここでケムリの事を受け止めたの?」
 そう言ってカレンのはちきれんばかりの胸やオシリを触る。
 オオーッ
 広間にいる男達の感嘆の声。
 「クリス、何かオバサンみたいよ・・・」
 カレンは恥ずかしそうにしていた。
 「まさか男女のカレンが・・・それもあの気難しいケムリと関係を持つなんて・・・確かにカレンは美人だけど・・・」
 朝食のあと、クリスはケムリの部屋に向かった。
 「ケムリ」
 「ん?」
 「キスして」
 歯ブラシをくわえたままケムリが振り返る。
 「お願い」
 そう言ってクリスは顔を上げた。ケムリは黙ってそれを見つめていたが静かに顔を近付け、重なる。
 「アリガト!」
 そう言ってクリスは嬉しそうに部屋を出て行った。
 やがてケムリ達を乗せたホバーは500万人ほどの人口の、未来における中都市に辿り着いた。現代の我々は地上という平面の、2次元の世界に住んでいると言ってよいほど、未来の都市は立体的な道路網、天を衝くほどの超高層ビルが林立し、地上から離れて都市機能が成立している。砂漠に存続する数少ない人類の到達点だ。といっても繁華街などはゴーストタウンと化している。
 「都市の繁栄も、機能を失えばただの鉄のカタマリだな」
 「今じゃ暴動が絶えないらしい」
 「危険な薬物が流行しているとか」
 皆都市に抱いているイメージは良いものでは無いようだ。
 「ジャッジメントとかいう思想集団が活発らしい」
 「ご苦労なこった」
 「どんな集団なの?」
 「リーダーのノインをはじめとしたエリート能力者が集まって、自らを神の使者と称して積極的にメディアに露出している。ジャッジメントには選ばれた人間しか入れなくて、頭もよくてちょっとしたタレントなんだけど、最近は移住者を否定したり集団としての思想を標榜し始めた」
 「愚かな人間は滅びて当然だ、みたいな事も言ってるらしい」
 「つまり自殺志願者って事か」
 「都市の市民から支持されて完全に天狗になっているから気をつけた方がいい」
 「優等生ぶってるのか」
 手を後頭部にあてて窓の外を眺めていたケムリが話に割り込む。
 「ああ。お前みたいな斜に構えた人間は特にからまれるから注意しろ」
 「どういう事だよ」
 一抹の不安を抱えながらケムリ達は都市の中心部にある庁舎に到着した。さまざまな手続きを済ませたあと、サンクチュアリの住民達の管理を再び任される事となった。
 「ケームリ!」
 超高層ビル群を一望する庁舎の一室にクリスとカレンがおしかける。サンクチュアリのアパートとはうって変わって何とも立派な部屋だ。これもケムリ達が魔物退治で上げた功績が認められての事だ。それだけ能力者達の待遇は良い。だがケムリにとってはそんな事を気にせずただ寝るだけなのでもてあまし気味だ。その上ものすごく高い場所にあるので高所恐怖症の人間がいたらとても落ち着いて暮らすことは出来ないだろう。だが人間の体というのはそういった異質な環境にも適応してしまうもののようだ。
 「これから都市を観光に行くんだけど、ケムリも行こう」
 「用心棒だよ」
 カレンがそう言ってニコッと笑う。
 「用心棒ってあのな・・・」
 ケムリはあきれた様子でベッドから起き上がった。
 都市はあらゆるものが新奇で、捜査官達の張り詰めた心を和ませるよい休息になった。やはりどのような状況に陥っても人は詩をうたい、その身を装飾し、リズムに合わせて踊り、芸術的なものを鑑賞する遊びを止めないのだろう。
 「アハハ、それ似合うって!」
 ケムリに流行の服を着させて楽しむ。街では巨大なモニターにミュージシャンの映像が流れる。通りを行き交う人々も皆オシャレな格好をしている。さまざまな道路標示や看板などの情報が目に痛いほど飛び込んでくる。街頭には人々の目を引くようなセクシーな衣装のキャンペーンガールが笑顔で宣伝する。皆世界政府の管理の下配給を受けている人達だ。だがこの都市の雑踏の中にいると世界が砂漠化している事など嘘のようだ。
 「半日かかっても全然まわりきれないね・・・」
 「もう十分だろ?」
 へとへとになったケムリが言う。
 「こんなに幸せだとかえって不安な気持ちになるね」
 クリスが澄んだ瞳をして言う。
 「いや、私達ももっとあかぬけないと!」
 カレンが新調したオシャレなスーツ姿で言った。
 「うわあっっ」
 「!」
 クリス達の近くで男の声が聞こえた。急いでその場に向かうと、がっしりとした体格の男が尻もちをついて怯えている。その視線の先には線の細い神経質そうな青年が立っている。側には縮こまった様子の女性。
 「腕がいらないようだな」
 「ま、待ってくれ・・・」
 「ちょっとアナタ!」
 クリス達は間に割って入った。
 「どうしたんだ」
 「この男が女性のカバンを盗んだ。今捕まえたところだ」
 青年はケムリに目を合わせずに言う。
 「だからってそこまでしなくても」
 「所轄の人間ごときが私に意見するのか!?」
 「でも・・・」
 「権力の過剰行使よ」
 カレンが難しい言葉を使う。
 「そう。やり過ぎって事だ」
 その言葉に青年が睨み返す。ケムリはやはり目を付けられやすいようだ。
 「私はジャッジメントのメンバーだぞ!」
 その言葉にひったくりの男は完全に引きつっていた。その意味の持つ効果は絶大だ。
 「だから何だよ」
 そのセリフを言ってケムリは少し心の中で後悔した。面倒な事に関わらないではやく部屋で眠りたい。
 「?」
 ケムリは後頭部に違和感を感じた。
 ガッ!
 「申し訳ございません、失礼な事を言って」
 カレンがケムリの頭をむりやり下げて一緒に謝った。
 「たぶん犯人も反省していると思うので、容赦してもらえませんか?」
 クリスは犯人に代わって頼んだ。
 「・・・仕方がない。この男は連行する」
 犯人ともども胸をなで下ろした。
 「ふー」
 「ケムリと同じくらい扱いにくい人だった」
 「思考が純粋すぎるんだよな」
 「ケムリ、気をつけなよ。」
 その夜、ケムリは庁舎周辺を特に目的も無く歩いていた。
 「おい」
 誰かに呼び止められて振り向く。昼間の青年だった。

 DAY 6
「確かあんたは・・・」
 「お前も能力者か」
 「・・・そうらしいが」
 青年の質問をはぐらかしてケムリは答えた。
 「ならば私の力を見せてやる」
 そう言って青年は気のようなエネルギーを解放する。ケムリと同じ干渉系のようだ。
 「あんた等も特定の能力を持っているのか」
 「ああ。その能力が突出して優れた者でなければジャッジメントには入れない」
 「それなりに強いという事か」
 「我々の中にもごくまれに内在系、干渉系、操作系全ての能力に優れている者がいる。辺境の地にいた者にはなじみの無い話だろうが」
 「俺は負けた事が無い」
 「私もだ。いくぞ!」
 青年はケムリに突進した。
 次の朝・・・
 「おい聞いたか、うちの捜査官が昨夜ジャッジメントの人間を倒したらしいぞ」
 高層マンションのケムリ達の区画に住む捜査官達が話をしている。
 「誰だ?」
 「あの逆毛青年」
 「あーあのカレンやクリスとつるんでる化け物か」
 「魔物何千匹を相手しただけはあるな。エリート達の中でもかなり通用するとは思った」
 「しかも相手はジャッジメントの中でもそこそこ出来る方の人間らしい」
 「じゃああいつとしょっちゅうケンカしていたカレンも・・・ブルブル」
 それまで力を量られなかった能力者達の、実力が白日の下になっていった。ちなみにジャッジメントは200人ほどで構成されている。人間を超える優れた能力者は大勢いるわけではない。未来の総人口が100億人であるからジャッジメントになれる確率は1億分の2だ。他の大都市などにさらに優れた能力者はいるが、所詮人間なので能力が評価されようと魔物と闘う事の保証とはなりはしない。雑魚ならともかく、クリスだってかなり魔物と闘えるだけでも非常に異質な存在なのだ。
 「よくやったじゃないか、ニイチャン」
 「ケムリ強いねー」
 場所がマンションのラウンジに変わっただけで、いつものように談笑する3人。
 「能力はあるんだろうが経験不足がはっきりしていたな」
 「そりゃ雑草並みのケムリとは違うよ。」
 「あのな・・・」
 「これで彼らも少しは頭が冷えたんじゃないかな。」
 ケムリがジャッジメントの人間に勝った波紋は大きかった。それまで周辺にくすぶっていた有能な人間が続々と表舞台に名乗りを上げるようになり、組織の勢力図が塗り替えられていった。ジャッジメントも人選自体が見直され、捜査官達を対象に模擬試合が行われるようになった。
 「やはりいざとなるとジャッジメント達は強いな。なかなか勝てん」
 「だが互角に闘っている者もちらほらいるな」
 ほとんどの捜査官は大して活躍出来なかったがケムリやカレンは余裕で連日全勝、クリスもかなり健闘した。
 「クリス、アナタも結構強かったのね」
 シャツ一枚で汗を拭いながら待合室で話している。
 「カレンやケムリなんて対戦相手が怯えて勝負になってないよ・・・」
 「まあ俺も基本的に相手と向かい合った時には殺す気になるからな。」
 「もう、競技なのに・・・」
 「仕方ないだろ?私達はずっと現場で闘ってきたんだから」
 「カレンは目が笑ってた」
 「あれ?私楽しんでなんてないよ?」
 「対戦相手が可哀想だ」
 「アンタに言われたくないわよ!」
 ボカッ
 「いてて・・・」
 やはりお互いケンカしているのが似合っているケムリとカレンだった。
 数日後、3人にジャッジメントへの参加の誘いがあった。3人とも異なる理由で断った。
 ケムリは
 「めんどくさい」
 カレンは
 「退屈」
 クリスは
 「暗い」
 3人の思考パターンが垣間見えるようだ。他にスカウトされた人間も多くは同様だったので、ジャッジメントの下位層の人間は胸をなで下ろし、上位層の人間は初めから相手にしていなかったので気にも留めなかった。
 それがある日さらに捜査官達を震撼させる事件が起こる。ジャッジメントのリーダー・ノインに殺人その他の容疑で逮捕状が出された。ノインは自身がトップクラスの能力者であり、国際警察幹部のエリートで、個人的な賛同者も多い。
 「最前線は我々に任せて下さい」
 ジャッジメントに目の敵にされてきたケムリとカレンは相当意気込んでいた。正当な理由でグループの連中をボコボコに出来る。最近温い闘いばかりだったので余計に気がはやる。
 「もし一部の捜査官達が容疑者を守ったら、その人間達の対処は?」
 「捜査妨害と認め、実力で排除する事を要請する」
 2人の上司もかなりノッている。もはや2人に歯止めはきかない。
 「了解。」
 2人は早速数百人の捜査官と共にジャッジメントの所在ビルへと向かった。
 「私は上空から窓を破壊して侵入する。ケムリは通路を頼む」
 「分かった」
 捜査では先輩・後輩の立場で迅速に行動する。
 「私達は外でジャッジメント達を食い止めるから、本丸はがんばってね」
 クリスは捜査官達の列に混じって待機している。
 「ああ」
 ケムリは建物内にのりこんだ。ノインのいる最上階へは何本ものエレベーターを経由して行かなければならない。
 「お前が噂のケムリか」
 早速ジャッジメントの幹部が登場した。ニュースや広報で度々目にする顔だ。
 「リーダーに会わせるわけにはいかないな」
 そう言って拳銃を突きつけた。操作系か。
 「動いても無駄だよ。どこに当てて欲しい」
 ケムリは相手の銃に意識を集中した。
 ボン!
 男の拳銃が破裂した。
 「な、何・・・」
 「射撃の訓練ばかりじゃなくて、波動障壁も習得しておくべきだったな」
 波動障壁は干渉系の能力に対する防御機能で、わずかな干渉系の素質と短期間の地道な訓練があれば簡単に習得できるものだ。しかし高度な能力を有するものはそういった低次元な技をおろそかにする事がある。
 「では捜査を続行する」
 ケムリはその後もジャッジメント達をうまくかわしていった。多分彼らも本気でないと思うし、もし本気を出されればケムリも勝てない。
 「そっちはどうだ、カレン」
 ケムリの通信の声ががらんどうの広い部屋に虚しく響く。その向こうに女の体を片手でおさえている男がいる。
 「どうした、カレン!」
 「カレンは容疑者に拘束された。」
 別の端末からの通信。
 「何!」
 「落ち着け」
 ケムリは通信を切った。
 「ちっ、あのバカ・・・」
 ケムリはカレンが捕まったことがまだ少し信じられなかった。気が落ち着かないまま、最上層へと向かっていった。
 通路の側面の窓からは一面に広がった広大な都市の姿。進んでいくとやがて大きな部屋に出た。
 「カレン・・・」
 ケムリの目の前には焦点の合わない目で微かに微笑む、薄着姿のカレンがいた。
 「ジャッジメント達から抜け出して来たのか・・・さあ、戻ろう」
 そう言って近付くケムリ。カレンは目をギロッと見開いて睨む。
 「!ぐはっ・・・」
 カレンの拳がみぞおちに深くめり込んだ。
 「・・・フッ・・・ハッハッハッ!・・・」
 うずくまるケムリをそのままふっ飛ばす。鮮血を吐くケムリ。
 「何のマネだ、カレン・・・」
 口元に笑みを浮かべ、カレンはゆっくりと歩み寄る。
 「私がなんで体を激痛と薬の副作用に蝕んでまで国際警察になったか分かるかい?」
 「・・・・・・」
 ガッッ!!
 カレンはケムリの髪をつかむと、頭を思いっきり地面にぶつけた。そしてまた引き上げる。ケムリの額から血が流れ、 帯状に目にも入り、顎から滴っていた。
 「ぐ・・・」
 カレンはそれに顔を近付け、舌を伸ばして血を舐めた。
 「父親が愛人に生ませた子。それが私なのさ」
 「・・・・・・」
 ケムリは体を支えようとカレンの肩をつかむ。
 「私は父親の顔を知らないんだ・・・」
 カレンの表情が虚ろになる。ケムリは思わずそれを見つめる。
 「嘘だよ!!」
 カレンは歪んだ笑みを浮かべてケムリの体を地面にねじ伏せた。
 「ごはっ」
 身動きも取れずケムリは苦痛の表情を浮かべる。
 「殺し合いがサイコーに気持ちいいんだよ!」
 そう言ってケムリの腕を思いっきり踏んだ。
 「くっ」
 急にカレンの表情が曇った。
 「何・・・その態度は」
 ケムリは倒れて身を投げ出したままだ。
 「また無関心を装っているのか・・・」
 カレンは服の襟をつかみ、軽々とケムリの体を持ち上げる。
 「そういう態度がムカツクんだ!!」
 がら空きの胴に10発以上のパンチを叩き込んだ。倒れたケムリの口から血があふれ出す。
 「私を女だと思って甘く見ているんだ!」
 カレンの目から涙が流れる。どこか落ち着かない様子になり、精神の不安を打ち消すように言った。
 「立て!」
 ケムリはひざに手をついて立ち上がる。
 「どうやら俺の体は殴られる度に強くなっているらしい」
 血の混じった唾を吐いた。
 「もう終わりだ」
 ケムリの眼が赤く光る。
 「何だと?」
 カレンは怒りに震え、拳を握り締める。
 「殺してやる!」
 ケムリは素早く手をかざし、気を放出した。カレンは光に包まれた。
 「カレン!」
 クリスが追いついたとき、カレンは脚を地面に投げ出して倒れていた。駆け寄るクリスを尻目にケムリは先に進んで  行った。
 「許さんぞ、ノイン・・・」
 奥まった部屋の扉を開ける。そこには椅子に肘をついて足を組み、こちらを見つめている男がいた。
 「私からの贈り物は如何でした?」
 「このクソヤローが」
 「彼女には思い知らせてやったのですよ。不快に思われたならお詫びします」
 「ああ。殺す前にもう一度訊く。なぜ捜査官の身でありながら犯罪に至った」
 ノインは返事の代わりに椅子から体を浮遊させ、床に降り立った。ケムリの手に汗が走った。ものすごい力を感じる。思わず唾を飲む。
 「私も人間だ、という事ですよ」
 「?」
 「美しいものを壊す時、無上の悦楽を得られるんだ。あなただってそうでしょう」
 「知るか」
 「そんな事は無いと思いますが」
 「行くぜ!」
 ケムリはノインに飛びかかって行った。そのはずが次の瞬間には逆さまで壁に崩れ落ちていた。
 「遠慮はいりません。本気で来て下さい」
 「キサマ・・・何者だ・・・」
 ケムリには敵わない事は既に明らかだった。
 「ジャッジメント(裁く者)ですよ」
 「ふざ・・・けるな・・・」
 「おや、もう限界ですか。」
 ケムリはその場に倒れた。
 「人間はこのかけがえないの無い大地を汚し尽くした事を自ら贖罪するべきなのだ・・・」
 途切れ行く意識の中でケムリにはノインが大きな宇宙のような存在に思えた。
 「君達の能力も地球が与えた最後の力なのだ・・・だがそれも自分達の特権のようにしか思っていない」
 ノインは腰を屈めてケムリに近付いた。
 「だが君達を見捨てない者もいるようだ・・・まだ終わりでは無い」
 ケムリの意識は完全に途絶えた。

 epilogue
誰がこうなる事を予想しただろうか。
 突如飛来した百万の魔物により、ケムリ達捜査官の必死の防衛も虚しく、都市は滅びた。世界中の都市で同様の事が起こった。
 世界政府は対魔物決戦兵器、ジハードの建造を急いだ。言うなれば巨大な大砲である。
 国際警察の若き女性捜査官が寡黙な青年と出会ってから、5年の月日が経っていた。
 「まだ動けるか、ヴァレス」
 精悍な顔つきには以前のケムリの面影が残っている。
 「当然だ、私はジャッジメントのNO.3だぞ」
 肩までかかったロングヘアーの男が屈んだ姿勢で言う。
 「クリス」
 見つめる先には穏やかな微笑みでたたずむ女性がいた。
 「ええ」
 「よし、行くぞ」
 ただ空だけが、何も知らないかのように青かった。
 研究機関の主任研究員の男は一冊のレポートを前に頭を抱えていた。研究者達が出した一つの結論。
 "魔物との交配"
 ついに魔物の生態系を明らかにする事は出来なかった。だが魔物が優れた身体能力、環境適応力、自己回復力を持つ事は分かった。その能力を人類が得る。それが人類に残された唯一の道だ。
 だが魔物は人間を食糧としか見ていない。現実的可能性が伴わない意見は絵空事でしかない。
 このレポートも顧みられることなく消えていくのだろうか。
 いや、いたのだ、人と魔物の間に生まれた者が。
 そう、ケムリと呼ばれる青年だ。
 彼の薬物を必要としない能力、闘う程に強くなっていく肉体がまさにそれであり、魔物以上の能力を獲得している。
 しかしなぜ彼のような存在が生じたのだろうか。
 それは数多ある魔物の中の知的種族が、滅び行く人類に最後の望みとして、残していったものなのかもしれない。

 終わりは始まりだ・・・

 NO GOD ~CRAZY STORY~