Will -そのあと- から6年(2006/11/9)


今回で3回目。早くもこの記録を書く日が巡って来た事に、時の流れの早さを感じずにはいられない。
ここ3年間の変化
一言言えるのは、"元気が無くなった"という事だろうか。それは"落ち着いてきた"という
事なのかもしれないが、幾度もの自己変革の試みと挫折の連続の中で、エネルギーも
時間もすっかり失ってしまった。自己を省みる事も少なくなってしまったようだ。不健康な
状態にあるし、異性の目を気にする事も無く、公然とアニメやマンガにのめり込んでいく。
中学時代中盤からが自覚の時代、メガネを外して臨んだ入学式に始まる
高校時代が実行の時代だとすれば、高校3年生の中盤に起こった中学時代の
自己像への回帰、そして"自分らしさの再発見"から、ネガティブなものと捉えがちで
あった自己陶酔への欲求は、エスカレートする形で大学時代の私にふりかかって
きた。ただ以前と異なる点は、中学時代において未分化だった外面と内面が高校時代は
内面を否定し外面的に生きていこうとした。しかしそれまで蓄積され
"河村広太"という独自性を作り上げてきた内面を捨て思考を途絶させたのが
大きな間違いで、そのために私自身は大幅に退化し陳腐化し平均化し自己を
外面的に変化させる試みは悉く失敗に終わった。高校時代に退廃していく自分
に気付き始めた事は"河村広太という独自性"、ものの考え方や行いに見られる
"内面性"の再構築であった。思考の一般性、外面性を捨て、かつての自分の嗜好
を模倣した。望まない4流私大への進学にすぐに嫌気がさし、中学生の頃
"どうせならもっと上手くなってプロ顔負けになりたい"と個人的目標だったマンガを
外面的目標、つまり人に見せるためのマンガを描くという意識に切り替え、そのために
結果として大学の授業を3ヶ月、1年分の半分をサボるという事態を引き起こす。
高校時代の無益な3年間が内面性の欠けた、つまり目的意識を
持たない外面的生活のために起こったとすれば、大学で起こった事は単位を取る
という外面的必要性よりも、マンガ家になりたいという内面的欲求が、つまらない
大学生活への嫌悪と結びつき、優先され外面に押し出されていったのである。
しかし私のマンガが中学時代の研ぎ澄まされた感性を横溢させたような作品
群と比較して、自然的解決の見込みのないスランプ状態に陥っている事は
明らかだった。この頃毎日寝る前に"ある作品(原稿化未定なのでここではAと呼ぶ)"を読んでいた
事は記憶に新しい。この作品は私の作家生命を途絶させる程の"問題作"でもあり、
私に再び"河村広太"を呼び起こさせた"記憶"でもある。そして私は講義に復帰し、程なくして
"漫画研究会"の部屋のドアを叩く。入学当時私を躊躇させていたのは外面的
な世間体だったが、出だしからつまづいたのでもういいと思った。そこで私は部員の一人に
"A"を見せ、反応を伺った。そして人に見せる作品として十分でない事が
わかった。またマンガ描きを自負する人達のレベルが見られた。私が漫研にいる目的
は達せられた。一年たたずに私は漫研をやめる。マンガは一人の闘いだ。この頃
私はクラシックのコンサートに出かけたり、ニーチェやゲーテを読んだりと、やたらと高尚な
ものに近づき、マンガもそうあるべきだと考えていた。漫研で内面を何の戸惑いもなく
ひけらかす人達に嫌悪を抱いた。「漫研にいると普通じゃなくなるよ」という
指摘は、私自身とても気にしていた事だった。バイトや運転免許取得も経験した
この頃の私は、大学生活の中では外面性をバランスよく維持していたのかもしれない。
同時に非常に使命感のようなものに燃えていた時期だったと
いうか、まだ元気があった。大学1年の間に私は300ページ近くの量のマンガを
描く。これは"A"の漫画など才能が結実した中学3年時に次ぐ歴代2位の量である。ちなみに
300ページのうち200ページ以上が、"A"の追加シナリオのために描かれた。
残りのものも"魔石"など、2000年の頃生み出されたアイディアに
依拠している。(注:後の検証の結果大学1年の頃の漫画のページ数が最も多い
事が判明している。戸田誠二に影響を受けた姉弟観察をはじめとする4部作だけで
100ページほどある。現在は存在しない"A"作品の補完の漫画が200ページなので
それだけで300ページ行く。大学1年の頃の総ページ数は500ページほどである。2006年
当時の私が大学1年の頃の創作が失敗と感じていたので事実が歪曲されている)
同じ自分の作品なのだから似るのは当然なのだが、意識的に似せる事で改めて
かつて自分が築いた表現力の高さに驚く。そうして量は描いたのだが、
質の低下に悩まされる事になる。何しろ描けば描くほど絵がヘタになっていくのだから。
これは深刻な問題であった。画力そのものの根本的な見直しが必要になった。
そこで気付いたのは、絵がヘタだと感じるのは絵に描かれた対象が現実と照らし合わせて、違和感が
あるからである。抽象画ならそれでいいのだが、私はモディリアーニなど一部を除いて、
あいにく抽象画が大嫌いである。現実に見ているものなのだから、絵に描けるのは
当然と考えるかもしれない。しかし像を完全に思い出すのは本当は出来ていない。
それが観察力の違いである。最初私は絵がヘタなのは、精神的な、
やる気の問題だと思い込んでいた。確かにその面もあるが、本当は
現実から見て描き方が間違っているからであり、自分では正しいと思っていても、
目に入ってくるだけで、像が描くというレベルにおいて"見えていない"
事が分かった。私は7歳の頃からマンガを描いており、一度誤解から"悪いくせ"
がつくと、たちの悪い影響を及ぼしていった。自分の絵に上手さヘタさを
感じるのはそのためであり、中学の頃に自分が意識せずとも現実を
"見る"事が出来ていた事に気付いた。それはおそらく創作の蓄積の結果であり、
カッコイイものや闘い、また女性に対する強い思いがあったからこそ出来た、
まさに精神的な力によって丁寧な線を可能にしたのだ。絵を意識的に
描くようにする一方で、私は精神的な、内面的な充実を得るためには、
外面的な充実が欠かせないと考えるようになった。つまり現実をよくしようと
考えた。中学生の頃の私はまさに双方が充実していた。部活に汗を流し、
アニメや音楽、映画や深夜番組など創作意欲を刺激する多くの優れた
ものに触れ、勉強では学校でもトップクラスの成績、一流大学に進学
したような人達と近い場所で勉強していた。あらゆる好条件が揃っていた
のである。堕落しきった今の私からは到底考えられない世界。大学2年に
なった私は"現実"をよくするため、つまりマンガのため、豊かな内面性のため
に勉強を頑張る事にした。それは手さぐりの努力だった。それまで私は学問
というものを真剣に考えた事がなかった。私にとって勉強とは"親に言われて""親のために"
するものだと思っていた。つまり私にとって学問とは外面的なものに
過ぎなかったのである。ただ中学の頃私が勉強が出来たのは自分自身にきちんと
内面が存在したために、外面的に行った勉強にも内面からの親和力が働いたためと思われる。
つまり自分でも無自覚のうちに"出来ていた"のである。この自分自身の内面に無自覚だった
事が、全ての悲劇なのであるが。しかし学問の本筋が暗記や受験勉強ではなく、
自説の主張であったり、新しい理論の提唱や証明である事を知った。
学問とはいい点とって褒められるためのものでもなく、説教のような
堅苦しいものでもなく、個人的な欲求や意見、つまり内面的なものから
出発して外面に形作る、私がマンガを描くのと同じような事なのだ、
そのためのものなのだと気付き、正直スーパーショックだった。私は経済学で
分析やら指摘やらを行っているが、理論にしろ解析にしろそこには
用途があり、目的がある。つまりその点に終始する事に気付かなかった。
極端に言えば軍事において"いかに敵を倒すか"と同様に"いかに売れるか"
と"失業率、成長率などの指標を改善するか"に尽きるのだ。後者は学問では
難しい気がするが。そこには方法だけが存在し、哲学的価値観などは必要ないのである。
つまり、精神論の世界ではない。また、自分が文系にいる事で、
理系がものをつくるというこれ以上ないくらい内面的な欲求に立脚している
事に気付かされた。私はマンガを描く事によって"創造"してきたのだから。
ものをつくる事には試験の様に60点、70点は存在しない。0点か100点である。
だが自分次第で200点や300点をとる事も出来る。私は壮大な自己満足の世界に
身を置きたいと思うし、マンガもそのためなのかもしれない。ただ学問が
"内面的に必要とするもの"である事に気付くために、時間がかかり過ぎた。現在の私は
外面と内面がどんどんボーダーレス化していく状況にあるのかもしれない。
かつての自分と違う所は、それに自覚的である所だ。"A"は私の内面を扱った
ものであり、当初私はそれを異端視し、その価値に気付くのに3年かかった。
それから3年。就職を控え、外面的にも内面的にも充実しているとは言えない。
優等生の表彰を受けた後、大学の半分以上の講義を切り捨てた。
大学1年の頃のように、もはや外面と内面の両立は不可能、と考えたからだ。
望まない進路を迫られた結果、とてもそのような環境ではないのだ。
かつての私は内面を封じ込めようとした。しかし今の私は内面を押し出そうとしている。
この矛盾したあり方は何なのだろうか。私がもはや外面をあきらめたからなのだろうか。
いや、違う。私はまだ"内面をあきらめていない"のだ。かつて巧妙に隠してきた内面も、
成長とともにそうする必要がなくなった、とも言えるかもしれない。現在の私は
外面的にも内面的にもほぼ0の状態である。残っているものは可能性だけだ。
現在の私の生き方はまさに未来への布石の段階である。願わくば、3年後の私に
素晴らしい内面性の再来があるように!